12月23日の東京ペディションに向けて、
ラジオライフ2月号の編集作業も大詰め、
本日12月16日は2013年のラジオライフに取って仕事納めのようなものだ。
明日から東京ペディの最終準備に入って、12月23日は元旦ってなストーリーかな。
出店をお願いするサークルには、そろそろ出店者証が届くはずなので、
熟読して忘れものなきよう、参加して下さい。
さて、タイトルのように11月末をもってしてテナントが出ていったラジオストアだが、
その後どなっているのだろうか。
アキバ通のラジオライフらしいコネクションを使って取材してみた。
まずはテナント各店。
既に移転を完了し、シャッター前に移転先を記した貼り紙がしてあった。
そしてシャッターストリートに。
ところがである中央通りに面した1店舗のみ九州電気(ミマツ)さんが営業を続けていた。
そして店先には閉店しないとの貼り紙が…。
でたな、アキバの入り組んだ地形図!
どうやらラジオストアってのは中央通りから秋葉原駅へ打通していたわけではなく、
中央通りに面した土地はラジオストアではないようなのだ。
そもそも秋葉原駅のガード下のラジオセンターは、
あの辺一体がラジオセンターだと思っていたが、
ラジオセンターはガード下だけでラジオストアの逆側は秋葉原電波会館と別の建物だったりする。
秋葉原の地形の複雑さはその生い立ちまでさかのぼらないと、説明できないので割愛。
まあ、ラジオストアは中央通りには面していないのは事実だ。
でテナントは出ていったが具体的に取り壊しが行われるわけではないようだ。
共有していた路地の隣にはラジオセンターが営業をしている。
中央通りには面していない。
こうなると重機が入る隙がない。
ラジオセンターの古豪に尋ねたところ、
「ラジオストアを壊せるわけはない」
「そもそも解体の話はきていない」
とのことだった。
となりで解体工事がはじまればラジオセンターは営業不能になる。
さてさて、今回のラジオストア閉店はなんだったのか。
設備の老朽化とのことだが、たしかに老朽化しているが、
建て替えられる状態ではないのも事実。
どうなるのかその行く末を見守りたい。
新しい街になっていく秋葉原だが、古豪のショップさんに話をうかがうとホントに面白い。
秋葉原の歴史は露天商から始まっているから、いろいろと荒くれた話もある。
ちなみにラジオセンターの3階におじゃましたことがある。
店舗のない事務なので独特の雰囲気。
すぐ上を走るJRも音もなお一層いい感じに聞こえる。
秋葉原、自分が1番好きな街である。
学生だったら、秋葉原の歴史で論文書きたいくらい、その歴史はおもしろい