渡部恭久がハマっていたパソコンはFM-7だった
渡部恭久さんはゲーム音楽家。Yack. の別名でも知られています。タイトーで数々のゲームを手掛けた後、アリカ、スーパースィープで活躍。現在はフリーで作曲を続けています。代表的な作品に、『メタルブラック』『ボーダーダウン』『旋光の輪舞』シリーズなど。RIKIが渡部さんの少年時代に迫ります。
渡部恭久はゲーム1本を全曲作る
RIKI ゲーム1本のサウンドを作る場合、だいたいどのくらいの時間をかけるものなんでしょう?
渡部 それはもうモノによりけりかな。例えば『アルカノイドリターンズ』(1997 年)。これはたぶん、全曲で1週間かかってないです。
RIKI そんなに短いんですか! 同じころに、『プチカラット』(1997 年)もやってますよね。俺、めちゃくちゃ好きだったんですよ。
渡部 あー、このころは5タイトル抱えていたんです。
RIKI 切り替えが大変そうですね。
渡部 慣れです。それと、当時は制限があったから、今ほどは面倒にはなりませんでした。音にしても絵にしても、「処理落ちしちゃう」だの「容量が足りない」だのでやれることが限られていて、その分割り切れるんです。
RIKI 一人で全曲作ることが多かったんですか?
渡部 タイトーは、1機種に一人が基本だったんです。
渡部恭久のパソコンはFM-7から
RIKI では『メタルブラック』(1991 年)や『ルナーク』(1990 年)も全曲作られたのでしょうか?
渡部 全部です。
RIKI すげぇ! だから世界観を統一できるんですね。では、子どもの頃はどんなゲームで遊んでいましたか?
渡部 山の上に住んでて、ふもとに駄菓子屋ゲーセンがありました。そこに50 円玉握りしめて1ゲームだけやりに行く。……そういった子どもでした。
RIKI 当時、よくプレイしていたのは何でしたか?
渡部 小学生のころは『ムーンクレスタ』(1980 年)とか。中学では『バーニン’ ラバー』(1982 年)や『スクランブル』(1981 年)。そんな世代ですよ。
RIKI パソコンにもハマっていたと聞きました。最初に手に入れたのは、どの機種でしたか?
渡部 FM-7 から入りました。
RIKI 当時はPC-88 などのほうがメジャーでしたよね。
渡部 FM-7 ユーザーはみんな同じことを言うと思うんですけど、絵が良かったんですよ。