口約束の相続は書面がないと振り出しに戻る危険
宏さんと勉さんは年子で仲のいい兄弟として有名でした。母親が亡くなった後の遺産相続の場面でも、財産の分け方が問題になるようなことは一切ありませんでした。マンション住まいだった勉さんが、両親の家だった一戸建てをもらって引っ越し、預貯金や有価証券などその他の資産を兄の宏さんが引き継ぐというかたちで、すぐに話はまとまったのです。
遺産の差額分を現金で要求される
ところが、宏さんの一家を不幸が襲います。相続が終わった半年ほどあとに当の宏さんが出張先で事故に遭い、帰らぬ人となってしまったのでした。
さらに運が悪かったのは、いつもなら兄一家に降りかかる突然の事態をまるで自分のことのように心配してサポートしてくれる勉さんが、持病の手術のためひと月ほど入院していたことです。
やっとのことで退院し、すぐに兄の位牌の前に駆けつけた勉さんに、兄嫁の香美さんが申し訳なさそうに切り出しました。「お母さんの遺産のことなんです。勉さんが住んでいる家は夫がもらった分の倍以上の価値があると聞きました。兄弟ふたりで分けるのですから、その差額分を現金でいただけないでしょうか?」「義姉さん、ちょっと待ってください」という言葉を、勉さんはやっとの思いで飲み込みました。
遺産分割協議書を作っておけばと後悔
じつは実家の所有権登記がまだだったのです。もちろん不動産の登記や預貯金の引き出し、名義変更には相続人全員の署名などが必要です。
ただ、兄弟でなんの問題もなく話がついていたこともあり、遺産分割協議書のような堅苦しいものなどなくとも、実際の手続きの時点で簡単に署名してもらえばいいと考えていたのです。
相続の細かいことは、自分も妻に説明していません。きっと宏さんも同じだったのでしょう。義姉が相続財産の半分はもらえると考えても不思議ではありません。家と預貯金などを分けると兄弟で決めたときに、少し面倒でも遺産分割協議書を作っておけばよかったと、勉さんは後悔しました。