荒川憲一の作曲する音楽が変わったきっかけとは
荒川憲一さんはゲーム音楽家。ソニア(サイレンス)で『VIPER』シリーズ、『宝魔ハンターライム』シリーズなどに関わりました。90年代後半にはジャレコに所属し、『ゲーム天国』『ドラゴンシーズ』などPS・SS作品で音楽を担当。現在も、ゲーム音楽家として活動中です。荒川さんにRIKIがインタビューしました。
荒川憲一はVIPERの音楽の作り方
RIKI ソニア(サイレンス)は『VIPER』( 1993年から20本以上が製作されたゲームシリーズ)で、PC美少女ゲームとしては異例なくらいのヒットを飛ばしました。アニメーション表現がものすごくて、RIKIにとっても思い入れがすごくあるシリーズなんです。音楽はどんな風に作られていたんでしょうか? 容量の制限とかありましたか?
荒川 当時は好きなように作っていました。制約らしいものは特になく、リテイクも基本ありませんでした。
RIKI そのころは、『PMD』で作曲を?
荒川 そうです。『VIPER -V16-』( 1995年・PC)からMIDIに対応するようになり、音楽制作の環境も変わりました。それまではMMLを打ち込んでいたのが、キーボードとSC-55(当時標準的だったローランド製音源モジュール)で作曲するように。制作のアプローチがガラッと変わって、音楽にも影響はあったと思います。
荒川憲一とコンシューマゲーム
RIKI 機材やソフトによっても、音楽性が変わってくるものなんですね。X68000やFM-TOWNSへの移植も自分でやられていましたよね?
荒川 その頃は自宅で作業していたんですが、X68000やFM-TOWNSを会社から借りられてうれしかったのは覚えています。ゲームができるから(笑)。ただ、どんなアレンジをしたのかはほとんど覚えていないんですよね。基本的には、PSG音源の部分をFM音源に変えただけのものが多かったと思います。
RIKI 初めてコンシューマゲームに携わったのは、『宝魔ハンターライム』( 1993年・PC、1994年・PS)ですね。
荒川 PCで出したものを、PSに移植することになりました。PSへの移植は自分でやりました。
RIKI それから、コンシューマの会社に転職を?
荒川 もともとコンシューマがやりたかったんですが、そのときの経験もきっかけのひとつにはなったと思います。いくつかのメーカーを受けて、ジャレコに所属することになりました。