花森安治のスカート着用説を否定する大橋鎭子
花森安治という人物を語るうえでは、彼の変わった服装を避けては通れないだろう。花森が女装のような格好を始めたのは戦後のことだという。おかっぱ頭にうしろ髪は長髪のカール。厳つい顔とミスマッチなその風貌は、世間の注目を浴びた。
花森安治のスカート着用説を否定
しかし、花森安治の格好が「女装」であったかといえば、そう断言できるものではないようである。長年のビジネスパートナーとして常に花森の近くにいた大橋鎭子は、世間が噂した花森の「スカート着用説」を否定している。
鎭子によると、それは花森が太めな体型であったために、半ズボンの裾が広がってそうみえたのだという。そうはいっても、周囲の目を引く風貌であることに変わりはない。そしてこの独特な容姿は、真偽不明のさまざまなゴシップを生み出した。
そのひとつにこんなエピソードがある。花森が『毎日新聞』に連載していた『たぬき問答』という対談コラムでの話だ。花森安治は、いつものようにおかっぱパーマ頭に右前あわせの青いコート、えんじ色の袖口のセーターという出で立ちで、社会党代議士の大石ヨシエと対談した。
花森安治を女性と思い込んで話す
このとき、大石は最後まで花森安治のことを女性だと思い込んで話し続けたのだ。この逸話は、その後何年にもわたり語り継がれたという。
それではなぜ、花森はこのような格好をしていたのだろうか。たしかに花森の独特な服装が話題を呼び、自らが編集長を務める『暮しの手帖』にも注目が集まった。まさに編集長自らが広告塔の役割を果たしたわけであるが、奇抜な服装を続けた理由はほかにもあるようだ。
「反・背広、反・制服」という考え方を持っていた花森。戦争が終わったのだから、皆が同じ方向を向き、同じ型にはまる必要はない。それにもかかわらず画一的な服装をしたがる日本の制服文化。花森はこれに真っ向から反発したかったのだろう。花森はこうして自らの考えを主張し続け、生涯にわたり誰も真似できないような独特なスタイルを貫き通した。
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