KING-MASAをスニーカーの道に走らせた一足
KING-MASAをスニーカーの道に走らせた一足が「AIR FORCE 1 LOW 干支・馬華モデル」だ。購入した店舗はハワイのスニーカーショップ。そして、そのショップで手に入れたのは憧れのAF1と、人生を左右する経験だった。KING-MASAの人生を決定づける2つの重要な経験とは?
初めてKING-MASAの意思で買った
KING-MASAをスニーカーの道に走らせた記念すべき一足が、2002年にリリースされた、このAF1(エア フォース 1)の馬華モデル。まだKING-MASAが幼かった頃、親戚が住んでいたハワイに旅行に行った時、父親に買ってもらったものだ。
購入店舗は、今や有名スニーカーショップになったキックス・ハワイ。今でこそ、大通りに面したビルの1階に位置する同店だが、当時は(今と同じビルの)2階の端っこで細々と営業する、隠れ家的ショップだった。
小学生だったKING-MASAは、人と違うこと、人と違う物が好きだった。スニーカーについてもそう。日本では珍しい、誰も履いていないようなかっこいいスニーカーを履くことにこだわっていた。
だから、日本に入荷される前のエアモア アップテンポやコルテッツなどを、ハワイ旅行のたびに買ってもらっていた。ただ、それまでのKING-MASAはどんなものが本当にいいスニーカーなのかわからず、最終的に購入する一足は親に決めてもらっていたのだけれど。ようやく、少しおしゃれがわかり出した頃、初めてKING-MASAの意志で買ったのがこのAF1の馬華モデルなのだ。
KING-MASAの目に飛び込んで来た
「street Jack」や「GET ON!」「Boon」など、当時スニーカーを多数掲載していた雑誌を見て、そこに載っていたAF1にひと目惚れしたKING-MASAは、サイドに刺繍が入ったモデル(レイカーズ、プエルトリコ、ウエストインディーズなど)がお気に入りだった。やはりレアなスニーカーが欲しかったのだ。
ただ、当時は空前のAF1ブームで、日本ではどこを探しても見つからなかった。ABCマートですら、どの店舗でも完売。そんな折、恒例のハワイ旅行に行くことになり、「海外なら手に入るかもしれない」と思って情報を集め、キックス・ハワイに目星をつけた。
日本ではお目にかかれないレアなスニーカーがずらりと並ぶ薄暗い店内で、真っ先にKING-MASAの目に飛び込んで来たのが、この白赤のAF1だった。タンには「馬」、ヒールには「華」の文字が刺繍され、インソールには馬の絵が描かれていた。
日本のショップでは見たことのない、このスニーカーがどうしても欲しかった。ただ、子どものKING-MASAにとっては高額。今まで買ってもらっていたモデルは、高くても100ドル程度。この馬華モデルは、KING-MASAの記憶が正しければ150~180ドルほど。
だが、もちろん僕はあきらめられない。30分以上かけて父親を説得し、「今年の誕生日プレゼントはナシ」という条件付きで、どうにかこのスニーカーを買ってもらった。
KING-MASAのもうひとつ重要な経験
実はこの時、KING-MASAはもうひとつ重要な経験をしている。初めてAF1を手に入れてテンションが上がっていたKING-MASAは、店員に「このスニーカーを履いて帰りたい」という意思を、つたない英語とボディランゲージで伝えようとした。
しかし、なかなか理解してもらえなかった。もどかしかった。すると、店内に居合わせた日本人留学生のお兄さんが、流ちょうな英語で僕の言いたいことを店員に説明してくれた。かっこよかった。
その時KING-MASAは思った。「自分もあんな風に、スニーカーショップのスタッフと仲よく英語で話したい!」。そう、この出来事は「英語を話せるようになりたい」とKING-MASAが思うようになったきっかけでもあるのだ。
ハワイでこのスニーカーと出会わなければ今のKING-MASAはない。そして、それを買った店であの留学生のお兄さんに出会わなければ、海外に留学することもなかった。幼き日のKING-MASAはキックス・ハワイの店内で、人生を決定づける2つの重要な経験をしたというわけだ。だからこそ、このAF1はKING-MASAにとって本当に特別な一足なのだ。
ボロボロになったAF1。母親からは何度も「捨てていい?」と聞かれたが、KING-MASAは「だめ!」と言い続けた。KING-MASAはこれから先もずっと、このスニーカーはそばに置いておくつもりだ。
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