女の直虎が「次郎法師」の僧名を与えられた理由
井伊直虎は、遠江国井伊谷領主・井伊直盛の娘として生まれた。母は今川氏の家臣・新野左馬介(親矩)の妹である。この時代の史料や家系図には、女性の名前は「女」とだけ表記されていた。直虎も正確な生年や幼名は不明である。女の直虎が「次郎法師」の僧名を与えられた理由を見ていく。
直虎は運命に翻弄され数奇な人生
直虎という名も花押によって確認されたのみで、史料はほとんど残っていない。何事もなければ、名もなき「女」として平穏に生きるはずだった。しかし、時代は戦国乱世。直虎は運命に翻弄され、数奇な人生を送ることになる。
当主の直盛には後継者となる男子がいなかった。そのため、直盛の従兄弟にあたる亀之丞(のちの直親)を娘婿に迎え、家督を譲る予定だった。しかし、1544年(天文13)に事件が起こる。
井伊家の家老・小野道高(政直とも)は亀之丞の家督相続に反対し、阻止するために一計を案じる。かつては名門だった井伊家も当時は、今川家に従属していた。
男として出家して次郎法師の僧名
『井伊家伝記』によると、道高は密かに駿府の今川義元に「井伊直満、直義に謀反の疑いあり」と讒言したという。直満は亀之丞の父、直義は叔父である。二人は義元に呼び出され、自刃させられたのである。
謀反人の子となった亀之丞にも身の危険が迫り、亡命を余儀なくされる。亀之丞は追っ手を逃れ、信濃国松源寺に匿かくまわれた。婚約者の亀之丞と引き裂かれた直虎は、仏門に入る決意をする。
とはいえ、直虎は井伊家惣領の一人娘である。尼になれば、容易く還俗できない。しかし、僧侶であれば還俗は可能である。そこで、男として出家し、龍潭寺の南渓和尚によって次郎法師という僧名を与えられた。
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